投稿

6月, 2018の投稿を表示しています

2010年8月 魔の虫垂炎 / MORIMURA Chapter 3

イメージ
2010年8月8日 Director's Chair  暑中お見舞い申し上げます。  5月は高松で森村さんが田中敦子さんの電気服を着るという撮影に始まり、後半はロンドン。束芋のパラソル・ユニットの展示設営。ギャラリー2階のレジデンスに泊まり込み、後半はホクストン・アーバン・ロッジというちょっとスカしたホテルに滞在。Art21の取材も行なう。6月前半は夏の展覧会の仕込み。後半は豊田市美の森村展の設置。 写真はこの展示でメインとなった独裁者をテーマにした作品。豊田市美の一番広い部屋の吹き抜けの天井に暗幕でフタをして、1辺11mのスクリーンを2台でシンクロ再生。多分、日本ではこれ以上のサイズの展示は無理なのではないかというくらいの迫力。音もなかなか大きく響き渡る。他の作品もスケールアップ、あるいは余裕を持たせて展示したので、森村さんの作家人生でも上位を競う良い展示になったのではないかと思う。私も嬉しくなって、これが良くなかった。連夜の深夜からの暴飲暴食がたたり、京都に戻って、束芋の国立国際の設営の初日、「虫垂炎」(盲腸)(Appendicitis)になってしまった。  予期せぬ出来事とは、こうしたものかも知れないが、前日からどうもお腹が張った感じで、朝起きると、どうも右下の腹部が痛い。とりあえず午前中を休むことにして病院へ行ったら、典型的な盲腸と診断された。最初エコーを撮りながら観てくださった先生は、こりゃ手術やなぁーと切ない発言。ああこれで国立国際始まって以来の開催日の延期かと思った。盲腸の診断は最終的に血液検査などを経て外科で判断される。もう半ば諦めかけて最後に診断してくだっさった先生曰く、手術せんでも良さそうやで。と神の言葉。「どんな仕事してはんの。」と話すうちに、その先生の娘さんが京都芸大に通っておられることもわかり、そりゃ休めへんなぁ。というご理解をいただき、3日間点滴と飲み薬で治療して、午後は仕事しても良いということで、F1のピットインのように過ごした。  言い渡された食事の内容も守り、何とか10日後の束芋のオープニングは無事に迎えられることになった。しかし、さらにオープニングが近付いた頃、1つのニュースが舞い込んだ。束芋がベニスビエンナーレの日本代表になったのだ。オープニングの翌週には兵庫の常設展の設置、その翌々日には高松沖の女木島で森村作品の設…

2010年5月 MoMAの田中敦子 / 田中敦子・もうひとつの具体

イメージ
前回、書いた1月27日はフィアデルフィアでホームパーティーの後だったので多少文面が酔っぱらっている。それからもう3ヶ月も経ってしまった。その後ワシントンに移動して、森村作品「戦場の頂上の旗」(*この作品の正式タイトルは「海の幸」)の冒頭のあの雪のシーンを撮影、ニューヨークで久々にMoMAに行ったら田中敦子さんの作品に遭遇。ドキュメンタリー(田中敦子・もうひとつの具体)の中でこの作品をMoMAが購入してくれた時の事を田中さん自身が語っている。私は写真でしか見た事が無かったので、今回どの展覧会よりもこの一枚に出会えたことが良かった。


京都に戻って編集して、翌週の写真美術館の試写会に間に合わせた。3月に入って束芋展の撤収、森村展@写真美術館の設置があった。船便で出すロンドン向けの機材を何とか仕込んで、3月末から4月にかけてシンガポールのSTPIで束芋の取材でお世話になり、桜咲く京都でウディチコの奨めでマイ・フェイバリット展の撮影、その後今年2度目のニューヨークで束芋の作品設置とART21と打合せなど。連休前には車で豊田で打合せに行って、4月も終わった。  今年はよく使っていたノースウエストがデルタになってしまっのでどうしようかと思っていた頃に、たまたま乗ることになったコンチネンタルとの接続便がJALだったことがきっかけでそれからなるべくJALを利用することにした。破綻した直後だったけれど地上も機上の人も良く頑張っているなぁと感心したのだ。やっぱりいろいろな意味で再建を果たしてほしい。安全とサービスを他国にない品質で追求できればきっと日本人は日本の航空会社の2社を選ぶと思う。
 安定した品質を手ごろな価格でと言うとグランドセントラルのオイスターバーだ。いつ行っても裏切られる事なく来て良かったと感じる。  外国でも生牡蠣の味はレモンだけで食べるのであれば日本のものとそれほど大きな差がないし当たり外れが少ない。貝に当たる当たらないの、安全と非安全というのもその場の人たちの仕事に対するクオリティーとも実は関係していると思う。単に私が牡蛎好きであるというだけかもしれないが。写真は1人でも気軽に食べられるカウンターの最右席から牡蠣割り場。牡蠣とクラムが大量に消費されていく様を見ながら聞きなれない品種を覚える。今回はWianoが美味しかった。注文するとクラムチャウダーや牡蠣もファース…

2010年1月 朝から「お疲れさま!」はないだろう / imomushi : tabaimo -2010-

イメージ
2010年1月27日 Director's Chair
 機能美っていうのは多分この世で一番美しいと思う。  ブランクーシ(神の領域に位置づけられた彫刻家)とメイソンビル(マウイの伝説のシェーパー)の削り方の違いを語れる人はなかなかいないと思うし、世の中結構狭い領域中で満足しているフシがある。グローバルという言葉にだまされつつ、それを良い方に考えないとならないような風潮もどうかと思う。うまいものはどこに行ってもうまいし、まずいものは名物でもまずい。昨年秋から(?)忙しくしていて、やっとの冬休みに入った3時間後にインフルエンザになり、正月を神妙に過ごすことになってしまい年明け5日には、遠慮なく図面が舞い込み今日に至っている。そんな中、ただ一つ、ほっとしたのは、この写真かも知れない。
 横浜で開催中の束芋展の最後に登場する「BLOW」というインスタレーションのプロジェクターだ。4台使ってランページ状のスクリーンに投影して、その底を鑑賞者が歩く時にその人にも映像が写り込むが、その影で映像が途切れないという配置。写真はまだ調整前に撮ったスナップだが良い顔をしていると思う。天井に作られた間接照明の凹みを最大限に活用させていただいた。丹下健三さんにもお喜びいただけたかどうかは分らないが、建物との格闘を芸術への触発のひとつと考えられて作られた建築なのかも知れない。と思う。登攀が無理に見える氷壁に挑むクライマーと似ている。  さて、最近各地の美術館で働くとまだ午前中なのに挨拶は知らない人からも「おつかれさまです。」と来る。これは最近の会社などでも同じで、まだ明らかに疲れていない時間帯から「お疲れさま」はないだろうと会釈をしながらも密かに思っている。少なくとも私が会社員をしていた80年代にはそんな会話というか、声のかけ方は無かった。仕事が終わって初めて「お疲れさま」と言いたいし、言ってもらいたいものだ。いつの間にか、「いたわり」「癒し」というチープな広告的イメージが先行した結果、とりあえず「お疲れさまです」と言っとけば、差し障りないだろうという安易なマイナス思考だと思う。見ず知らずの人からでもHow are you doing?と声をかけられた方が随分積極的になれるのは間違いない。「お疲れさま」とナメ合うか、「どうしてんね」と高め合う違いは今後大きく文化を左右してしまうの…

2009年11月 ウインド・サーフィンと映像 / MORIMURA Chapter3

イメージ
2009年11月8日 Director's Chair
 2日連続で書くのは初めてだが、昨日書いた内容を寝ている時に思い返して、もう一つ思い出したことがある。私とビデオとの出会いも実はこの御前崎だった。


この写真は確か御前崎に通い出した頃に撮ってもらった一枚だったと思う。強風吹き荒れ誰も出ていない。3.2のセールでもオーバーで、アウトに出るのが精いっぱいだったような日だった。ま、それでも楽しいのだが。  当時、80年代後半家庭用ビデオカメラとして8ミリビデオというものが出始めて、86年くらいからビデオでもウインド・サーフィンを撮ってもらうようになった。そして、最初は撮ってもらつてばっかりだったのだが、自分でも少し撮ってみたらそんなに難しくはない。ならば自分でもと思っていた頃にソニーから出た88というハンディーカムを購入した。その後パスポートサイズで世の中のビデオが一気に増えるのだが、丁度その頃に私もビデオ撮影を始めた訳だ。テレビでもMTVというものも流行っていて、私も友人のブルースバンドのプロモーションなどを作って遊んでいた。ちょっと話がそれてしまったが、御前崎に私の今の仕事のルーツがあったのかも知れない。  この波間をボード・セイリングで滑るのをウエーブ・ライディングと当時は呼んでいたが、この写真で使っているマストが実は今回の森村作品にも登場している。そう、あの旗の棒だ。今回旗の棒は重要な役割をしていて、私はガレージに保管していたマウイで買った年代物のアンプロのツーピースマストを再び御前崎の海岸に持って行くとは思いもしなかったのだが・・・。人生には結構不思議なサイクルがあるのかも知れない。
++++++++++++++++++++++ 2018.6追記 
MORIMURA Chapter3のメイキングの様な写真が出てきましたので、当時のロケの様子を。御前崎のロケは確か三泊四日で、連日朝から夕方までみっちり撮影というハードなものでした。夏の終わりでまだ暑い時でしたので出演者もヘロヘロだっと言われます。連日好天に恵まれてラストシーンの夕陽はその象徴です。それからおよそ2週間後に草月会館でのロケ。マリリンに扮した森村泰昌がビアノ演奏をするというシーンです。会場にはボランティア出演をして下さった観客の方で満席の中、限られた時間で良い画が撮れました。






MORIMURA C…

2009年11月 御前崎 撮影とボードセイリング / MORIMURA Chapter3

イメージ
2009年11月8日 Director's Chair  もう11月。夏から秋を感じている間もなく冬の気配のこの頃。  今年は来月から束芋展が横浜美術館であって、来年春には森村展の巡回が始まる。忙しいと予測はしていたものの、夏以降やはり休日らしい休日はなくなってしまった。おまけに原美術館で12月の下旬オープンというヤン・フードンのお手伝いもすることになって、皿回しのような日々である。
 写真は御前崎ロケでの一コマ。もう既にはるか遠い日に感じるが、その後このロケで撮った素材を仮編集して10月に草月ホールで公開制作。舞台で慣れないトークやダメだしをしながら公開で素材を撮り終え、現在編集も峠を越えた。  10月後半はオープンしたイズ・フォト・ミュージアムの開館記念の記録の制作。こんなところに文章を書いている暇はないだろ、と言われそうだが、今月末には設営のロードに出かけるので、ここで一息、御前崎を回想したい。  今回、御前崎で撮影したのは森村泰昌の新作で、硫黄島に米軍が国旗を立てた有名な写真をモチーフにしている。この制作が決った初期の段階では5分程度の短い作品でこれまで作ってきた映像作品とそれほど規模が変わるものではなかったのだが、いろいろと氏の妄想は膨らみ現在20分を超えている。ちょっとした短編映画的なものであって、美術館の展示室で見せる映像作品という枠からも一歩抜け出したと思える。その作品を御前崎で撮ることになったのは、私がかつてボードセイリング(ウインド・サーフィン)というスポーツをほとんど職業のようにやっていて、週末は御前崎に通っていたために、作品に必要なシーンを撮れるという公算があったためだ。写真はその当時の私。同じ海で異なった事をメイクする。
ただ20年ぶりに立った御前崎の浜は昔より狭くなっていて、期待していた浜岡砂丘も草が生えて砂自体が少なくなっていた。夕食で通ったお店のご主人の話でも、年々砂浜は狭くなっているそうだ。様々な開発の波がこんなところにも影響している。でもあの遠州灘のちょっと日本の海ではないような開けた感じが私は好きで、その雰囲気はまだまだ健在であった。低気圧の動きをにらみながら、美術作品を作るという感覚は、登山、ボードセイリングのレースでも感じられるものがあったし、私としてはボードセイリングで得た事を初めて現代美術に応用できたことが少し…

2009年7月 春〜夏 ベネチアのノルディカ 山と美術 / SUGIMOTO 杉本博司

イメージ
2009年7月10日 Director's Chair

 もう蝉も鳴き出しそうなくらい日中は暑い。  4月は杉本さんの国立国際でのメイキング収録、大原美術館のインスタレーション、IZU PHOTO MUSEUMの建築現場を訪ねた後、金沢で森村作品のインストール。4月はその半分が撮影に終わった。5月は直島で杉本さんの取材、国立国際の展示収録、大山崎の聴竹居でで栗本夏樹展の収録、6月はベニスの新しい美術館、ポンタデラドガーナPunta della Doganaで新シリーズを展示している杉本さんのインタビュー、ベネチア・ビエンナーレのやなぎみわさんとウディチコの展示収録。その合間を縫って束芋の新作プランの機材調査や実験を行ない、来年の森村展の打合せなどを東京で。  7月最初の仕事は、来年の渡航の予約のために10年目のパスポートの切替に。朝一番でドアが開くと同時に入って3番目だったので、手続は10分ほどで終了。印紙を買うところで聞いたが繁忙期は最高5時間待ちとか・・。  鶴橋で来年巡回する森村展に向けての打合せと、今後の作品の段取りのミーティング。そして鶴橋と言えば焼肉。2週目はやなぎさんの会場撮影と、来年の束芋展のプロジェクターテスト。京都芸術センターでラム・カツィールの設営・・。夏休みシーズンも間近になった。
 なかなか山へも行けてないが、先日ベニスの帰りにたまたま同じ船になったICI石井スポーツの店長さんに聞いたが、今すごい勢いで若い女性の間で登山ブームらしい。どこからそんなところに火がつくのか分らないが、そう言えば、前日トレーニングでたまに出かける大文字山でも真新しいトレッキングブーツを履いているのに普段の服装に近い女の子たちが来ていた。登山ブームは確かにあったが、中高年中心でどちらかと言えば、体育会系の高年齢の方が中心で、私などは「おにいちゃん」扱いである。そんな中に孫ほどの女子たちが新規参入なので、今後の展開が楽しみである。美術館、博物館人気の次はやはり登山か。  現代美術と登山が結構近しいものであるという私の持論をなかなか理解してくれる人は少ないのだが、先日読んだ新田次郎の槍ケ岳開山に、こんな一節があった。 「・・・・・登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山に登って見れば自然に分って来ることです。なにかしら、自分というものが山の気の中に溶け込…

2009年4月 春 モントリオール国際芸術映画祭 / MORIMURA Chapter0

イメージ
2009年4月5日 Director's Chair
今回は久々にモントリオールだけの滞在で映画祭The 27th International Festival of Films on Artを過ごす。今年も来るかどうか迷っていたが、アスリートが国際試合に出かけて得るものが大きいように、海外の観客を前に自作を見たり、他の作品や参加している監督たちから得るものが大きい。言わば勉強のために2週間を費やし強化合宿のようなものだ。現在の私の制作にこの映画祭で得たものが自覚しないところでも大きく影響して来たと思う。


今年は賞の対象になっているコンペ部門と公式上映のパノラマではあまりその差を感じることができなかったが、審査員賞をもらったBORIS RYZHYは多様な映像言語とその描写力によって、ロシアで自殺した若い詩人について描く。彼の故郷を訪れてインタビューを繰り返すことによってロシアにおける若者の自殺ということを起点に現代の問題点を掘り下げている。これだけ暗く重いテーマについて、見る者を深く消沈させるほどの映像で語る。相変らず凄いサブジェクトとやっているこの監督のアリオナ自身にも興味をもった人も多いのではないかと思う。
 対照的に明るくほほ笑ましい作品にも良いものを見つけた。ニューヨークのアートシーンでは既に有名になったコレクター夫妻を描いたHERB AND DOROTHY。監督は日本人。作品はアメリカからの出品とされている。ジャッドやチャック・クローズの作品を駆け出しのころから購入し、彼らのアパートに貯まった目利きの作品群を高齢になったために、最後はナショナル・ギャラリーに寄贈するという何ともいい話。ニューヨークのアート界では誰もが知る彼らについて、クリスト夫妻は「私たちは忙しくてなかなか展覧会を見て回れないけれど、彼らと一度食事をするとニューヨークの一年間の出来事が一晩で理解できる」と語る。それほど熱心に見て回る彼らは決して上流階級のコレクターではなく、アメリカの普通の庶民。アパートに納まる作品は彼らの居住スペースに溢れる。この映像では彼らの行動やこれまでのコレクションを振り返り、彼らと親しいアーティストのインタビューなどで詳細に語られている。私の中ではこの作品が大賞でも良かったのだが・・・。  その他に興味を持ったのは、ドバイのアート事情を追ったCULTIVA…

2009年2月 冬のストックホルム近代美術館 / imomushi : tabaimo -2010-

イメージ
2009年2月10日 Director's Chair  ストックホルム近代美術館、Moderna Museetのロゴはラウシェンバーグの手書きの文字がそのまロゴとして使われている。それは作家に対する敬意の現れだと思う。  昨年11月頃から毎日ように続くメールの打合せにまったく懲りずに問題点、疑問点を次々に返してきてくれたストックホルム近代美術館の技術課のオフィースは運河に停泊する舟などが見渡せる景色が広がる窓を持つ。(写真)
この美術館はヨーロッパを代表すると言っても良いくらい洗練された運営をしていると思う。その一つがこの技術部門だ。ヨーロッパの大きな美術館では当たり前の話しなのかも知れないが、常任で映像、音響、照明、内装など12名のテクニシャンがいる。  確かな技術をもって冷静に美しく仕事をする彼らは百戦錬磨を感じさす余裕さえ感じる。インスタレーションに関しては、作家も最善を尽くしているのだが、またそれに応えるべく作家の予想以上の準備と設置を美術館として応えた時、今ままでにない展示が完成することを彼らはよく知っている。  ヨーロッパでもトップクラスだと思える常設展ではカルダーの電気仕掛けの大きなオブジェが動いていた。楽器のような音が出る大掛かりな装置だが、しっかりとメンテナンスされて普通に動いていた事には驚かされた。  もう現代の美術館には技術部門は必用不可欠な時代になっているが、日本でそういう人材を確保している美術館ほとんどなく、勿論そういう部署が日本の美術館にあることは無い。技術関係の人材のいる美術館でも1名の担当者がいるという貧弱な状況であることは一般には知られていない。いかに有能なキュレーターがいても、それを実際の展示に生かすには、実際に現場をデザインして実現する人材が如何に重要であるかは、数値などでは計り知れない部分だ。美術館外の業者に頼らざる得ない現状では入札制度などのために毎回違った業者の仕事になって、なかなか専門的な人材が育たない。美術と技術、そして美術館を理解してそれを発揮できる人材の育成が急務だと思う。  また今回束芋のインスタレーション作品がこの美術館のコレクションに加わったが、そのために作家に対してのビデオインタビューがあった。それは作品の内容に対することだけでなく、使っている機材、壁紙や床面の素材や色など細かな事を遠い将来に…

2008年12月 ジム・ランピー @原美術館 / SUGIMOTO 杉本博司

イメージ
2008年12月25日 Director's Chair
 10月後半は、丸亀のピピロッティのインスタレーションの撤去に始まり、9月に釜山ビエンナーレに出品した森村さんの「独裁者を笑え」の同じセットをニューオリンズの展覧会に出荷。今回は誰も現地へ行かなかったが、図面やマニュアルでうまく設置してもらえた。  11月は金沢へ。「アートとは技術」と断言する杉本博司さんの「歴史の歴史」展のメイキング撮影。展示されたコレクションを初めとする作品郡も凄いが、それらが梱包されていた箱もなかなかゴージャスだった。ある夜、何となく食べに入ったお店で「カニ面」なる香箱カニのおでんを初めていただいた。とても美味。カニの足の身を綺麗にとり出してあったので訊ねるとスリコギを使うそうだ。今度やってみたい。「味とは技術」なのかも知れない。  京都に戻って来年1月の束芋のストックホルムで使う機材のテストを行い、先方のテクニカルへ図面を送る。そこからほぼ連日のように技術的な質問メールでメル友状態。まだ会わぬ人と文面だけで話を進めるのはなかなか難しい。いつも実際に会うと想像していた人とギャップがある。ま、相手もそう思っているに違いない。
 12月は、ジム・ランピーの美しい空間美のメイキング収録に原美術館へ。写真はドアにシートを貼っている本人。(この写真はもうすぐ発売されるカタログにも掲載されるらしい!!。)いつも見ている空間が、こんなにもクールに味付けされるのか・・と感心。自らも熱心にカッティングシート張りながら、夜はしっかり音楽活動と忙しいジムさんだった。京都へ帰って鶴橋で森村さんの新作動画撮影。9月に撮ったものと対になる作品。また朝までかかるかと思っていたが、今回は無事にその日のうちに終了。そして束芋のギャラリー小柳の個展の設営で銀座へ。美しく仕上ったインスタレーションのために打上はちょっと飲みすぎた。  そして今年最後の出張は金沢でマグナス・ヴァリンの機材のテスト。コレクション作品に対する美術館の惜しまない愛に感心。
 ああもう今年も残り少ない。11月の金沢では初雪が降ったのに、このところ暖かで山にもあまり雪がない。今年は経済も政治もお寒い話が多かったが、せめて芸術くらいは熱く行きたいものだ。2009年、近隣の作家やなぎみわさんもヴェネツィアだし、12月は束芋の大きな展覧会が横浜美術館で…

2008年11月 わが心のルイジアナ / imomushi : tabaimo -2010-

イメージ
2008年10月 11日  Director's Chair
広がる庭に朝日が差し込む。 海からの光を浴びたムーアやシャピロ。ルイジアナ美術館の彫刻は本当に幸せものだ。 学芸室や館長室、我々が泊ったレジデンスは美術館の海側の浜辺にあって、館長室から海に向かってウッドデッキが伸びている。世界中でこれ以上の環境の館長室は多分ないだろう。
レジデンスは5部屋と共同のキッチンがある。窓からは海や庭のカルダーが見えるので、美術館の中に住んでいるようなものだ。

カフェには暖炉。普通は美術館の建物に火を使う暖炉は設置しない(出来ない)が、やはり心和む暖炉がルイジアナには似合う。朝11時から夜10時という開館時間も憎い。夕方、少し人が少なくなったかと思うと夕食時にはカフェは満員。夕食後にゆっくりと企画展を見る人も多く驚かされた。夜9時を回って静かになった地下のコレクション展示をゆっくり眺めて、この美術館の創設者を想う。 独創性と協調性。このふたつを絶妙なバランスで継続しているその活動は何とも羨ましい。今回束芋の参加した展覧会「Manga! Japanese Images」も予想以上にいい企画だった。私はマンガはあまり好きではなかった筈だが、実は好きだったのかと思わせる展示にやられた。 この景色と、館内の隅々にまで愛を感じるいい美術館だった。ああ、またここで仕事をしたい。
+++++++++++++++++

2018.6追記
この美術館の滞在中、朝食はカフェの人が作ってくださり、昼食はレストランの横にあるスタッフ用の部屋でまかないをいただいた。美術館スタッフの充実した仕事はこの食環境からも影響を受けているのではないかと思った。そんなに広くはないランチルームは館内のいろんな部署の人が食べに来るので、そこでいろんなコミニュケーションが生まれていた。この美術館の家族的な雰囲気を感じる場所で、私などの滞在者がいても違和感なく溶け込める雰囲気・・。おそらく世界で最も機能している美術館の職員食堂だと思う。もしかすると美術館の企画運営で最も必要なものなのかも知れないと密かに思っている。



この展覧会の様子等はimomushi : tabaimo -2010-に収録されています。

束芋:tabaimo imomushi -2010-芋蟲 from Ufer! Art Documentary

2008年6月 涼しい6月が始まった / imomushi : tabaimo -2010-

イメージ
2008年6月 5日 17:33 Director's Chair
 ゴールデンウィークに至る10日間は、京都国立近代美術館で滞在制作をしたChicks on Speedメンバーと共に撮影をしたり編集をした。芸術は本来自由なものであることを再確認できる彼らのパフォーマンスに驚きながら、楽しく制作が出来、コンサートも大盛況だった。
ダグラス・ゴードンのサービス精神には、いささか驚きながらも、人生としての芸術を楽しむ様子に感心した。写真は彼らが映像にシャボン玉を入れたいというリクエストに応えるべく、真剣に取り組む私。

 5月末、シャネル・モバイルアートの東京展は無事にオープンした。
 束芋の作品の複雑な設営も主催者側のスタッフによって完璧に行われて、サウンド・ウォークというヘッドフォンの音声を聴きながら観るシステムも細部が改善されて作家にとってよりよい状態になった。香港で一旦解体され、輸送するだけで相当大変な建物と作品群を見事に再構築していた。普段美術界で仕事をしている私にとって、世界巡回でどのくらいの費用がかかってしまうのかということを考えさせることもこのプロジェクトの一部なのかと思うほどに、巨額が注ぎ込まれている展覧会だ。
 しかも、入場料は無料!。ネット予約の300円ほどの手数料で購入できる。フランスでもこういうのは太っ腹というのかどうかは知らないが、結果としては2日ほどでチケットは完売。ヤフオクにはダフ屋とも言えるチケット販売が多数出回ってしまった。これが日本の寂しい文化度ではないと思いたいが、今回のチケットに関わらず、公立美術館が発行する無料の招待券などがネットで売買される様子は、モラル以前の問題だ。

 昨年のモントリオールの芸術映画祭に参加したという木村さんという人からメールをいただいた。私はあいにく昨年の映画祭には行けなかったので日本人の参加があったことはすっかり忘れていた。現地に行ってあの映画祭を体験した人はほとんどいないので、是非会いたくなった。丁度東京滞在の時に、彼の運営するギャラリーで展覧会が始まるということだったので、府中にあるLOOP HOLEに行ってお会いした。木村俊幸さんはペインターとしても作品をつくりながら、映像作品を作る。本職は映画の特撮の監督だ。モントリオールの芸術映画祭について語ってもそれをなかなか理解してくれる人がいない…

2008年4月 春らしくなりました / imomushi : tabaimo -2010-

イメージ
2008年4月21日 22:39 Director's Chair
 今年の冬は京都も少しくらい冬らしさがあったかも知れない。だけどもう4月も後半。
 何回かここのページを更新すべく書きかけたものがある。
<1回目、3月6日にモントリオールへ向かう機内>
 昨年末のどたばたの中、これを書いてから65日くらい経ってしまった。まだまだトライアスロンは続いているが、飛行機の中くらいゆっくりとした時間が進む。デトロイトまでは12時間。隣の席が空いていたので幸運なのか、Macのバッテリーが2時間くらいもつので、急に頼まれた編集のオフラインが出来てしまった。これで帰ってから少しは余裕ができればスキーに行けるか・・・。
 デトロイトから乗り継いでモントリオールに午後3時。夕方にホテルに入って、中華街にあるベトナム料理屋カリでフォーを食べて、夜のオープニングに行くというのがいつものパターン。ここのフォーはスープが旨い。今年のモレアルは寒いと聞いているが、どんなもんだろうか・・・・・。
<2回目、3月18日にモントリオールから帰る機内>
 今年のモントリオール、寒かった。最初の週は、ストームが吹き荒れ、私の着いた日は、あなたはラッキーなどと言われくらい冬のような天気が続いた。午前中のプレス上映の後、地下鉄の駅まで2ブロック歩いていたら、雪に残る足跡が途中で消えた。町中でトレースが消えるという冬山のような体験だった。
映画祭の方は、どうだったのかなぁ。会期の途中でニューヨークへ束芋の個展の準備に6日間出かけたので、あまり心に残る作品には出会えなかったけれど、相変らずヨーロッパのテレビ番組はいいものを作っているという印象を受けた。日本からはNHKも歌麿のドキュメンタリーを出していたが、ゲストリストの日本人は今回も私だけという寂しい状況は変わりなかった。来年は青木兼治君に牛忠のドキュメンタリーで是非参加してもらいたい。
<3回目、3月27日に横浜へ移動中の新幹線で>
 3月は飛行機に乗る事が多かった。その度に厳重な手荷物検査受ける。飲みかけのペットボトルが持ち込めなくなって、どれだけ経ったのだろうか。もっと手軽に乗れていた時代。とても平和で人間的だったような気がする。911以前の話しだけれど、イタリアからスイスに向かう飛行機で、新人の客室乗務員…

2007年12月 師走  / imo-la: tabaimo -2007- 束芋 -2007-

イメージ
12月はいろいろあった。
兵庫陶芸美術館の秋山陽さんの撮影に始まり、2週目は森村泰昌さんの新作のための機材の仕込みと撮影、3週目は東京、横浜の展覧会の機材発送。森口ゆたかさんが来られて1月に芦屋市美で発表の作品の音声の手直しのため作業。週末は京都近美での打合せ。その夜にホールに特設された映画館で見た無声映画「鉄路の白薔薇」も、忘れかけていた映像の発言力を思い出させてくれる作品で良かった。

4週目は横浜美術館GOTH展の束芋のギニョるの設置。写真は最新バージョンのギニョる。今回はプロジェクターのつなぎ目がなくなり、さらに幻想的になった。設置と調整で5日間。天井も高くとてもいい空間に仕上っている。GOTH展のオープニングの後、ギャラリー小柳で杉本さんの展覧を見て、小柳さんのちょっとスリリングな運転でシューゴアーツへ。森村展に合流。独裁者の正式な国内初披露。やっぱりこのくらいのスペックのプロジェクターで見せたいと思うと同時に、何回も見ているのに、いい作品だと再認識。翌日は、原美術館へ寄ってweb用の撮影。ピピの展覧会も盛況の様子。ソファーに座って見る作品も皆さんじっくり鑑賞している。
 一旦京都に戻って最後の週は、金沢へ。21世紀美術館は毎度のことだが、すごく人が多い。常設の特別展に出ている森村さんのバルコネグロの後期を撮影。そして粟津潔さんの展示に圧倒される。京都に戻って、2月から始まる液晶絵画展のために、森村さんが新作映像の編集に来られた。編集の目処がついたので雑談。2009年〜10年のための制作計画を聞いて、軽く目まい。女優シリースを毎週ロケで撮影していた頃は大変でしたよねぇ、と言ったら、「あの頃の僕はまだ結構ヒマやったからねぇ・・。」とぽつり。ま、健康第一ということを確認。モントリオールへ上映用のimo-laを発送し、2007年も少なくなった。まだまだ部屋は片づいていないのにこれを書いていたりする。どうぞ来年も宜しくお願いします。



imo-la: tabaimo -2007- 束芋 -2007- from Ufer! Art Documentary on Vimeo.
束芋のドキュメンタリー第三弾。
 世界から注目される作家になった束芋。複数のスクリーンにアニメーションを投影するインスタレーションを制作するというスタイルは変わらないが、現代日本の日常風景をモチーフ…