blogを引っ越し

webサイトを始めたのが確か1998年くらいでまだ電話回線使っていて随分NTTに貢献した様に思いますが、blogという言葉も無かった時代で、定期的に備忘録的な事を書いてました。その後サーバーを立ててwebサイトを運用した数年後、OSXserverにしたのをきっかけにアプリに付属していたブログページで始めたのが多分2004年でした。
ブログと言えど不定期で数ヶ月に1回というようなペースでしたので、今個々に引っ越しするに当たって、再掲載する形で保存して行きます。ぼちぼち作業しますのでどうぞ宜しくお願い致します。

2004年 比良山ありがとう

やはり今年度限りで、比良索道(さくどう)は廃止されることになりました。31日であの八雲ヶ原にも気軽に行けなくなると思い、箱館山へスキーの予定でしたが、急遽山歩きに予定を変更して行って参りました。
朝8時半に麓に到着すると、やはり最後に登っておきたいと思われて来られた方々がたくさん来られていました。でも、少し驚いたのは圧倒的に年配の方が多く、それも60代以上の方が最も多かったのではないかと思います。
古き良き時代を心の中に焼き付けておきたいという気持ちと、これでまた一つの時代が終わるのだなという複雑な気持ちで皆さん登られていたのだと思います。
帰りがけに、山頂駅でフォークコンサートがありました。存続運動をされていた地元の人の主催でヨシ笛とギターのコンサートでした。
私たちが比良ロッジの前あたりを歩いていたとき、「思い出の赤いヤッケ」が聞こえて来ました。

私が今日行きたくなったのは、多分この山に特別な思いがあるからだと思います。初めてスキーを揃えて滑れるようになったのも確かこのスキー場でした。小学校の時、八雲ゲレンデのリフト回数券は三角形で糸で首からつり下げるようなもので、確か6回で150円でした。まだリフトが1基だけで、武奈ヶ岳方面のコースは、確かユーエンコースと呼ばれていて、一日に何本かだけ歩いて登って滑っていました。中学時代友人十数人でスキーに来た事、夏に学校から泊まりがけで来た事、高校時代にスキー同好会の練習で来た事、冬山登山の怖さを少し体験したのもここでした。でも多分、今日来られていた人たちには皆特別な思いがあったのだと思います。
十代の人のスキー離れ、山離れが顕著だと言われています。これはあまり良い傾向では無いように思うのは私だけでは無いと思うのですが、如何でしょうか。
ここら辺で趣味の一つに山歩きを加えてみようかなと思っています。そう考えさせてくれた比良山はやはり今回もまた偉大でした。
本当にありがとう。

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20180605追記
この後、リフトやケーブルは廃止されて普通の山に戻って行きました。四季を問わず何回も登って、中川佳宣を描いた作品には2度登場します。





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